フランスやイギリスのアンティーク、ヴィンテージの食器、テーブルウェア、ティーカップ、里帰りオールドノリタケセット品など「次の世代へと文化や価値が受け継がれる」「見ているだけで笑顔になれる」そんなお品とのめぐり逢いの場になれることをcherish(チェリッシュ)は願っています。


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オールドノリタケ(Old Noritake)

間違いやすいオールドノリタケの偽物の刻印


オールドノリタケには製作年代によって作品の裏に異なる刻印(バックマーク)がついており
作られた年代は、そのマーク(約100種類以上)を見て知ることができます。

ただ残念ながら、オールドノリタケの刻印に非常によく似た間違いやすいマークがつけられた「偽物」も数多くあります。それらはよく真似て作られた作品もありますので、その判別は難しいものもあるため作品の裏についた刻印を調べ確認することをおすすめします。


以下は、よく見かけるオールドノリタケの偽物の刻印となります。
もしお手元に作品があり気になる方は以下をご覧いただきご参考ください。


明治24年(1891年)アメリカ輸出向け
通称メープルリーフ印

正しい刻印
オールドノリタケ フクロウ ツボ


偽物の刻印は以下となります。
正しい刻印と比べメープルリーフが大きくなっていたり、もともとメープルリーフの形が異なっている、書体が違うなど比較的見分けやすい。

偽物1.
オールドノリタケ 刻印 偽物
偽物2
オールドノリタケ 刻印 偽物
偽物3.
偽物4.
 オールドノリタケ 刻印 偽物
明治43-44年(1910-1911年)アメリカ輸出向け
通称M-Nippon印
森村家の家紋の下り藤を逆にした上り藤となっており、中央には頭文字Mが入る。

正しい刻印
以下は偽物の刻印。
藤の上下の向きがちがっており中央のアルファベット文字が異なるなど明らかに違いがわかるタイプ。

偽物1.

オールドノリタケ 刻印 偽物

偽物2.

以上はよくみかける偽物の刻印の一部となります。


まとめ

今回の刻印の真偽を見分けるポイントは以下のとおりです。

1.モチーフの大きさ
2.デザイン相違
3.文字や書体の相違
4.小さな点の有無など

上記の場合ですとメープルリーフの大きさや書体の違い、アルファベットや文字色の違い、一見して見落してしまいそうな小さな点の有無などわずかなデザインの違いなどがあることが見てとれます。


普段の生活でノリタケのアンティークやヴィンテージの作品を数多く見る機会がない方がほとんどかと思います。見分ける際には美術本や資料などから実物の作品と比較して確認されることをおすすめします。

実物の作品を数多くみる機会が増えてきますと作品の外観からわかる場合もあります。それは、偽物は手描きの絵柄や金の装飾が雑であったり、細部まで丁寧に描かれていない、金彩の塗り方、ペイントなど本物とはどことなく違和感を感じます。そして外観から感じる違和感は裏の刻印をみることで明らかに偽物であると見分けることができるようになります。

偽物の刻印がついた作品が今も海外で数多く残っていることから、当時のオールドノリタケの作品がいかに欧米で人気が高かったかがよくわかりますね!



オールドノリタケの作品や刻印一覧については様々な美術本でも掲載されていますが、愛知県名古屋市 ノリタケの森にあるクラフトセンター3、4階「ノリタケミュージアム」ではその両方をご覧いただけます。


当ショップではセレクトしたオールドノリタケのアンティーク、ヴィンテージの作品をご紹介しています。よろしければこちらからご覧くださいませ。
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読み物 「オールドノリタケについて」もご覧ください。
oldnoritake_history_musium


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オールドノリタケとは


ノリタケの歴史に輝くオールドノリタケ

世界的に陶器のブランドで有名なノリタケ。
今年2024年創立120周年を迎えます。

現在のノリタケ株式会社(以下ノリタケ)、ノリタケの名前の由来は地名の愛知県名古屋市の則武(のりたけ)からくるものです。

明治治37年(1904年)に輸出用にディナーウェア(洋食器)を国内製造することを決めノリタケの前身となる日本陶器合名会社を創立しました。
10年後の大正3年(1914年)にようやく長年の努力の結果として日本で初めてのディナーセットを完成することになります。オールドノリタケの作品は、そこへ至るまでの長い歴史の中で誕生し現存する当時の作品からは貴重な職人技を見ることができます。



ノリタケ
ノリタケの森にて撮影 



ノリタケの陶磁器の歴史は、明治9(1876)年、東京銀座に森村市左衛門が「森村組」を創業したことにさかのぼります。海外貿易を通してアメリカをはじめ、英国などへ高品質の陶磁器を国内で輸出用に生産し海外で高い評価を得てきました。


海外貿易をはじめるにあたり森村市左衛門とある人物の出会いがありました。
幕末のころ、日本の金が海外に大量に流出することに不安や危機感を覚えた市左衛門は、知人から紹介された福沢諭吉の言葉が動機となり海外貿易への道が開きました。

その言葉とは、「流出した金を取り戻すためには海外貿易以外に方法はない」というものでした。


ノリタケ モリムラ
ノリタケの森ミュージアムにて撮影


森村市左衛門は、ニューヨークに弟の森村豊(とよ)を送り、のちの「モリムラブラザーズ」を立ち上げます。当時まだ東洋人に対して厳しい時代であり生活環境も苦しい中、少しずつ商売を伸ばしていきました。当初は日本からの骨董品、陶器のほかうちわ、ちょうちんなどの雑貨品を販売しました。


中でも陶磁器の売れ行きが良いことから日本から陶器を作り販売するようになります。好評だったのは陶器の花瓶、壺、皿など装飾品で、それらは生地を瀬戸などで作らせ国内から集結した技術の高い職人たちにより画付けされました。

日本の伝統的な美的センス、時代の少し先を見据えながら西洋の感性、デザイン性を取り入れつつ高い技術力を合わせながら盛り上げ、金盛り、エッチング、エナメル、ビーディング、ラスター彩、モールド、タピストリー、ウェッジウッド風など多数の作品を海外へ輸出し多くの人々を魅了してきました。

その中で大切に保管されてきたものが現存し今では再現できない技術、多くの時間や手間をかけた素晴らしい陶磁器製品を見ることができます。それらの作品はディナーウェアとは別にファンシーウェアとよばれていました。

モリムラ・ブラザーズは、1941年に閉鎖される間までアメリカでの販売拠点となり陶磁器生産においてとても重要な仕事を担っていました。閉鎖に至る理由には、1939年、第二次世界大戦の勃発などが影響しました。



オールドノリタケの価値
オールドノリタケの作品は、ハンドペイント、豪華な金彩、品質の高さ、デザイン性の高さから100年以上たつアンティークの作品として世界中の骨董収集家からその価値を認められています。
また、手描きの作品にアーティスト(絵付師)のサインが入っているものは特に貴重な品として扱われています。
中には状態の良いものもありますが、やはり100年以上たっていることからよほど保管状態の良いものでない限りアンティーク特有の経年のスレ(摩耗)、はがれ、ニュウ、欠け、ヒビなどがあるものが少なくありません。
持ち手(ハンドル)の摩耗など。しかしながら高品質であることに対する価値はかわりません。



オールドノリタケの刻印について
バックスタンプ(刻印)にNoritakeの商標がつくようになったのは明治41年1908年)ごろから。
それまでの製品の刻印には国内7か所の森村組の専属画付(えつけ)工場の窯元名が付され、日本陶器が明治37年(1904年)に創立されるまでの間はメープルリーフ(森村組使用)のバックスタンプが使われています。
しかし専属でない画付工場も複数あり刻印のないものもあるため、森村組が輸出したものかどうかはデザインの原画となる画帖や技法、製品の完成度などから照合することで確認する場合もあります。



まとめ
森村組と日本陶器(現・株式会社ノリタケカンパニーリミテド)が、明治中期から第二次世界大戦期にかけて製造し販売した陶磁器を「オールドノリタケ」と呼びます。
当時の欧米の顧客や時代、文化のニーズの情報を陶磁器に取り入れ、新しいデザインを生み出し消費者に受け入れられていきました。そしてアメリカの収集家たちによってアンティーク価値が見いだされる1970年代になると、これらの陶磁器は「オールドノリタケ」と呼ばれるようになりました。

オールドノリタケの作品は、繊細で美しく人のあたたかみが感じられ広く愛されていることで知られています。
様々な熟練職人による技法が使われ日本の伝統をベースに西洋の文化や技術と融合させて新しい魅力を生み出し世界中で高い評価を受けています。


オールドノリタケの作品をご覧になりたい方はこちらからどうぞ。
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